2018年8月27日月曜日

愛知県陶磁美術館 猿投窯展

少し説明が長くなりますがご容赦ください。 

『知られざる古代の名陶 猿投窯』
この夏、愛知県陶磁美術館で美術館が立ち上がる大きな要因となった猿投窯窯址群から出土した資料展がありました。
 開館時の愛知県陶磁資料館は, 愛知県陶磁美術館に名称が変わっています。 
 会員のAさんとともに催事を振り返ってみました。


『猿投窯』(さなげよう)は古墳時代(56世紀)から鎌倉時代(14世紀)にかけて、猿投山(さなげやま)標高629m の西南部に広がりました。
名古屋市の東部から瀬戸市南端、豊田市西部から日進市・刈谷市・大府市まで約20km四方の地域に1,000基を超える規模で、 昭和30年代の愛知用水建設に関連した古窯群の発掘調査を契機に古代日本屈指の陶器生産地であり、瀬戸焼・常滑焼の源流だったことが判明しました。

猿投窯は須恵器の生産地として、三大古窯跡である『陶邑窯』(すえむらよう・大阪府南河内郡狭山町,堺市,和泉市,岸和田市にまたがる東西15km,南北9kmの範囲)、      『牛頸窯』(うしくびよう・福岡県大野城市)と比較しても、その規模と稼働年数(約900年)で他の古窯跡より際立っています。



 須恵器』の技術が伝播すると、手びねりとロクロで成形し、地下に穴を掘った穴窯で作品を焼きました。
従来の500℃800℃で焼く軟質土器に対して、須恵器は1,000℃を超える高温で焼かれたため硬く焼き締まりました。
無釉焼き締め(=炻器:せっき)と灰釉を用いた作品が出土し、土器でありながら炻器とも陶器とも分類されています。






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